’88〜’90

 ソロデビュー当時から、1stアルバム、NEO FASCIO発売までの形跡。
初めてのソロライブ風景等。約束の東京ドーム公演。






ロック観について                      1stアルバム当時 1988年7月
−BOOWY解散後すぐのインタビューで”ロックという言葉にはもうそんなに興味がない”といった発言をしていましたよね?
「うん。言ったね。だって、今、日本の音楽シーンでは菊池桃子さんもロックなわけでしょう?だったら俺はロック・シンガーなんて呼ばれたくないもん(笑)」
−当然、反語を含んだ発言であった、と?
「もちろんそうだよ。俺自身の中で定義づけしてるロックと、メティアが便宜上使うロックとでは全然違うわけだから。そこでメディア側が言ってる”ロック”には全然こだわるつもりはないし、めんどうだっていう。だから、シンガーでいいし、パフォーマーですよって言ったの。」
−氷室さんが自分自身の中で持っているロック観というのはどんなものなんですか?
「そうだね、たとえば−−おれはあんまりストーンズって詳しくないんだけど−−ミックジャガーは本物のロックンローラーだ、みたいな言い方するよね?それって、そのキャラクターとか生きざまにたいな部分が大きかったりするわけじゃない?もっと日本的な言い方をするなら”魂の・・・”とか(笑)。俺はそういう人だけがロックンローラーだとは思わないし・・・。俺がそういう表現スタイルな部分で一番影響を受けたのは、やっぱりデビット・ボウイなんだよね」
−アルバムやツアーごとにまるで違うコンセプトで登場したり。音楽そのものだけじゃなくて様々なアート、ビジュアル、パフォーマンスをミックスさせて表現するアーティストですよね。
「そういう人だからこそ、って感じでボウイは欧米でロックンローラーとして認識されてるわけじゃない?俺、それを日本で一番近い形で体現したのって一時期の沢田研二だと思うんだ。だた、もともと歌謡フィールドの人だから、結局ロック・ファンみたいな層からはマイナスイメージでしか捉えてもらえなかったち思うんだよね。俺は、そういう風にアルバムごとにコンセプトを変えたり、パフォーマンス的な方法論でアプローチするロックが、もっと日本で認められてもいいと思うんだよね。共同作業じゃなくて、全部自分の意のままに・・・言い換えればなんでもアリなわけだからね。だから、ホント色んな方法で選んでいきたいよ」
−作業中に煮詰まるようなことは?氷室さん流の解消みたいなものはあるんですか?
「今回は、とにかく力の続く限り歌い続けて・・・。また”今日はもう終わりだ!”ってやめたケースもあったか(笑)それと、(吉田)健さんが凄く氷室京介ってキャラクターを尊重したアレンジや、作業のサポートに徹してくれたから」
−アルバムを一枚作り終えてみて、新たに発見したようなことはあります?
「6年間ずっとやってきたBOOWYのサウンド、その中での俺の歌っていうのが、無意識のうちに自然なロック像として自分の中に確立されてたところがあったと思うんだ。それが、今回のレコーディングをずっと進めていくうちに、仮歌から本番と何度も歌って、新しいメンバーの出してくれた音の中で、それを繰り返してるうちに、少し違ったニュアンスの音の空間が俺のものになってきたっていうか・・・。うん。なんかそんな印象もあったね」
  「本当にカッコ良くないって自覚したらね、スパっとやめちゃう。でも、まだやりたい事はたくさんあるからさ。これだけロックって言われる音楽が大きくなってるのに、ゴールデン・タイムとかの時間帯なんて全然ロックなんかやってないんだよ?まず俺はそういうシステムに俺のやり方でアプローチかけたいしね。だいたい情けなくなるよ。ずっとロックに思い入れて続けてきたらさ、いつの間にかロックなんて言葉は実体のないものになってて。俺に”ロックって言葉は関心ない”っなんていわせてしまう状況って悲しいじゃない。そんなのホンネのわけないじゃない。誰かがそういうのを壊していかなかったら変わらないからね。俺は俺のやり方でやっていくから、他のアーティストもそいつなりのやり方でブッ壊して欲しいって思うよ」
参考文献@

'約束'の東京ドームライブ直後のインタビュー(貴重です・・・)     1989年1月5日
−去年から今年にかけてっていうのは、”BOOWY”から”氷室京介”にということで、それが結果というか、ワンステップというか、BIG EGGまでの流れで「ひとつ見えたかな」という気がしたんですが。
「いやぁそうですね」
−その辺のところはどういう感覚ですか?
「う〜〜〜ん。”BIG EGG”に関してはやっぱり、自分の中でスゴイ思い入れがあったんですよ。で〜〜、”BOOWY”最後のコンサートの時に、二日間やったでしょ。で、そん時に「またここで逢おうぜっ」っていう風にセリフを言ったから、絶対に何かまたBIGEGGで演りたかったし、どうせ演るんだったら、やっぱりBOOWYと同じ二日間で演りたかったし、というスゴイ自分の中でのこだわりがあったから、コンサートはスゴイ嬉しかったし、イイものが出来たんじゃないかなぁと」
−当時ソロで演ろうと決めて、氷室京介が描いていたものが、ソロになってからこのBIGEGGまでの間に見えてきてるのか、そのへんは。
「決して100%俺が行きたいパフォーマンスっていう形がね、表現に出てきてるかどうかって言ったら、それはモチロンまだまだだけど、ただある意味で今まで実験してこなかった部分でトライしたところが凄くたくさんあったと思う。だからそういう部分をもっと”氷室京介”なりにアレンジしてこれからやってゆくだろうし、その意味でのスタートを切れたんじゃないかなぁって気がする。
たとえば、ダンサー達が出てきてパフォーマンスをしちゃう、という部分って絶対BOOWYの頃ではあり得なかっ事だし、やっぱりソロになってから出来ることだしね。ただ、それがアメリカ的なエンターテイメントみたいにすべてがなるのは嫌で、やっぱりヨーロッパのロック文化の凄い影響を受けているし、俺なりの”無国籍の部分”で、アメリカの良さといろいろなものが混ざり合って、”氷室京介”というエンターテイメントになればイイと。今回のダンスパフォーマンンスはBIGEGGで始めてトライしたんですよ。それなりに時間が無い中で、ただ”お正月企画”っていうか、初のBIGEGGというこだわりで、ちょっとお祭り騒ぎがしたいなっていうニュアンスがあって・・・。結構成功したんじゃないかなって思うけどね、思惑は」」
−そうですね、でもすごい昨日のBIGEGGで観たダンスは、流れはスゴイ自然だった気がしたんですけど。
「それは、そう言ってくれると本当に嬉しい。コンサート作るにしてもレコード作りもそうだけど、”遊び”っていうか自分のそういう感性みたいなものを大切にしたい。そう、で、さっきのダンスパフォーマンスの発送が出たのはコンサートの二週間くらい前なのね。だから普通だったらBIGEGGでそんなね・・・」
−二週間前!
「BIGEGGでそんなこと絶対やんないよね。でもそこで”やっちゃえる土壌”っていうか”やらせてくれるスタッフ”というか”やっちゃえる自分”というか・・・それを楽しんでくれるオーディエンスとか、すべてがそろってできてるんじゃないかって気がすごいするよ。昨日と一昨日のBIGEGGのライブに関しては、本当にパフォーマンスショウ、ロックパフォーマンスに徹しているよって感じたよね。」
−ソロになってから自分の中の、自分に対するイメージみたいなものっていうんは、BOOWYというバンドからソロという形で”ソロ氷室京介”でっていう部分の何か動きというか流れというか移り変わりみたいなものは?
「そうですねぇ。あの夏のイベントを演った時はいまいち踏ん切りがつかなかったっていうのが一番正直なトコだと思うんだ。どこまでソロとしてね、バーンッていっていいかっていうさ、それが自分の中で読めていなかったからね。で、そのイベントが終わって、初めて次の段階にいけるなっていう感じですね。今はひとつひとつを確かめながら演っているんです」
−BIGEGGとパワーステーションについては?
  「コンサート会場の概念みたいな部分の話になっちゃうんだけど、広い会場で演るのがある種ステイタスというところって日本のロックってあるでしょ。でもねぇ、そういう部分じゃないところで、やっぱロックパフォーマンスとして成立するのって、場所はどこでも関係ないと思うのね。ライブハウスにはライブハウスの良さがあったりとかさ・・・そういう部分を大事にしていきたいな、と思ったから、BIGEGGでまた二日間演りました、っていう自分のさ、こだわりとは別の次元でライブをやりたいなと思ったから」
−具体的にパワーステーションでのライブの印象は?
「もう最高ですよ・・・色々細かい問題はたくさんあるけど、とにかく自分の中での合格点は軽々越したんじゃないかなぁ・・・リアクションが肌でわかるしね」
参考文献A

「NEO FASCIO」は90年代の『MORAL』になる?               1989年8月14
−今回のアルバムのコンセプトっていうのは1月のドームが終わった時にはもうあったという・・・
「前のアルバムの時に泉谷さんが「独りファシズム」書いてくれたでしょう。ファシズムとかファシストっていうものに関しては、16,17の頃から興味持ってて、一時期ヒットラーが好きだったという時もあったんです。いろいろ自分なりに調べたりしてたんです。で、泉谷さんなりの解釈で「独りファシズム」っていう歌を作ってもらった時に、次のテーマとしてオレがファシズムっていうものにとり組んでいくのは面白いな、と思って」
−「独りファシズム」の時には、泉谷氏とはどういう話し合いがあったんですか?
「その頃のね、オレの精神状態とか、最近何考えてるみたいな話をしてて、あとは泉谷さんの方から結構積極的に、ああしようこうしようって出てきた詩なんです。泉谷さんがやっぱりそういうちょーど危ないテーマみたいなものに興味があったんじゃないかな。たから、オレなりの切り口で取り組んでみようと。時代観、みたいなものもありますよね。今、ニュースまでがフィクションだかわからないようなこと、信じられないようなことが一杯あるでしょ」
−中国のこともそうだし。
「こういう時代背景の中からきっとファシズムってでてくるんじゃないかなって思ったり。村上龍の小説にも感化されたりしてるかもしれない」
−3曲が氷室さん自身の詩で、残りが松井五郎さんの詩。
「ボク結構ファンですから(笑)。あの人のボキャブラリー、だから、今回、佐久間さんの音っていうか。空間とオレの持っているコンセプトと、ボーカリストとしての素材と、それから松井さんのアーティストとしての力を借りて、結構三つ巴みたいなところありますね。僕も詩は何度か挑戦したんですけど、ダイレクトになりすぎちゃうんですね」
−コーリングという曲について
「そう。ただ、全編になっちゃうと固くなりすぎて逆に核が歪んで見えちゃうこともあるんですよね」
−デモテープにヒットラーの演説みたいなノイズが入ってましたよね。
「うん。演説をサンプリングしたみたいなやつ。でもあれはクセが強すぎるなていうのと、佐久間さんが「オーバーチュア」のすごくいいの作ってくれたからそっちでいいやって思った」
−シングルをあの2曲にしたのは氷室さんのイメージだった?
「うん。あれに関してはシングル用に頭を切り替えてみんな喜ぶだろうな、みたいなところで作ってるから。オレにとってのシングルってアルバムの招待状みたいなもんで、それで興味もってくれてアルバムで何を言いたいのかを伝えるっていう方法論をとっていきたいんですよね。やっぱりシングル一曲じゃそのアーティストが何を言いたいのか伝わらないし、シングルはホントに楽しんでもらえればいいって、ポップな頭で作ってるから」
−サマーゲームのB面ラプソディ・イン・ブルーはアルバムにも収録されてる。
「バージョンが違うんですね。アルバムは松井さんがトータルで書いてるんです。シングルはオレが書いてる。アルバムはラプソディ・イン・レッドになってる」
−ミスティのB面に関しては?
「あれはコステロの曲なんですよ。コステロ大好きなんですよ。昔から結構こだわりがあって。長く音楽やってるわりに自分のルーツを感じさせるような音作りもしてなかったんで、シングルのB面だしシャレでみたいなサ(笑)。できるだけコステロに近く大笑いしながら作った(笑)。今の若い奴はほとんど知らないでしょう」
−今度のアルバムは90年代の「モラル」になるかもしれないって書いたことがあるんです。
「あ、その通りですよ。そういう気持ちで作ってますし、アプローチのかけ方には違いますけど、でも、いいたいテーマとかはまったくそうなんじゃないかな」
−「モラル」は自分が社会の中でどういう存在かが見えずに苛立ったり反発してるっていうアルバムだったでしょ。
  「そう、そこであがいてるっていう。今回のこれっていうのは土壌が与えられた上で、しかもそこで自分でいうのは何だけど,憎いのはシングルでちゃんと招待状を送っておいて、来て頂くという」
−しかも一番きれいな包装で。
「そうそう、それできちっとわかる奴にはわかると思うんだ。ある程度大人じゃないと無理かもしれないけど、でも、ロック=子供の音楽とか、今ある商業ビジネスのバンドが一杯出てますよね。あんなのウンコだと思ってるし、もっと本当に音楽を音楽として表現して伝えたいことがあって、それに向かってプロジェクトとして作品を作り上げるっていうのは、すごいスリリングだったし、うん」
参考文献B

NEO FASCIOツアーリハーサル時         (インタビュアー紺待人)       1989年
−リハーサルにまでお邪魔しちゃってすいません・・・調子はどうですか?
「ばっちりだね。すごく上手く運んでるよ」
−音を聴く限りではライブでの再現がすごく難しいんじゃないかと思ったんですけど。
「俺も(笑)。今回はさ、まずファシズムを俺なりに解釈したカタチをテーマに決めてから、すべての作業にとりかかったからさ。とにかくそのテーマに向けて、とりあえずこれで良い、っていう自分の判断基準をそれぞれに高く持とうってところから始めたのね。」
−って言いますと?
「入り込んで作業が始まるとさ、前にも言ったかもしれないけど、ひどく決定項出すのに時間がかかるわけよ。まぁ、もっと何かあるはずだとか、もっと別のアプローチがあるはずだってね。で、すごく悪い意味じゃなく使うんだけど、最終的にはどこかで妥協していくわけよ、自分の中で。で、その妥協的なレベルをさ、すごく整理整頓した時点で、より高く自分の中に設定して今回はレコーディングに望もうかなって思ってたからさ−。ただし、ライブの事は考えてもなかったなぁ(笑)。ま、それは冗談としても、とにかくまず目の前にあるレコーディングにむけてのいつもより高い満足、より納得のいく妥協ってのに向けて入り込んじゃったからさ、とにかくそこに向けての集中力をとにかく充実させていっちゃったからね。
−レコーディングは3人で進めたんでしょ。
「そう。佐久間さんと、ドラムスはソウル透さん。」
−ライブを一緒に回ったメンバーでやる事は考えなかったんですか?
「考えたよ、それは。すごく良いやつら−、メンバーだったからね。でもね、まずそれがさっきも言ったテーマに向けての作業をより円滑にしていく為に一番考えたり悩んだりしたところでさ。何したってワン・ツアーしか、そういう意味ではやってないわけでさ。だからむしろ本当に俺自身の都合みたいなところで皆には納得してもらって、最小限のユニットで始めたんだけどね。」
−そのスタイルにした最大の理由とかって話してもらえますか。
「うん。まずね、プロディースしていく上で小さなユニットの方がすべての作業の中でストレートにやり易いっていうこと。それに佐久間さんとはバンド時代のつながりとかきちっとあるから、ベーシックなコミュニケーションがとても早いっていうことがあったのね。つまり、自分ってコントロール・タワーがすごくたくさんの問題に向けて、ひとつひとつをタイムリーにクリアしやすいって状況から始めたんだけど−−。ま、だから逆に作り込みがすごくスムーズで、その分ライブに向けてのこと以前の完成度を中心に音を組み立てちゃったっていうのはあるな」
−でも作品としての満足度っていうのは−
「もう最高。佐久間さん天才なんだもの(笑)。冗談抜きで。」
−かなりベーシックなアレンジはヒムロックの上げたプリプロに忠実だったと思うんですけど。
「だからさ、そこに向けての音の粒とか重なりとかが、ライブとかに向けて困難な完成度だなと思われる方に行っちゃったんじゃないかな。コンピュータにしても打ち込みにしても、よりベストなアルバムに向けてさ」
−ドラムスとかもすごいですよね。
「でしょう。ところがあれはもうリアルものでさ、実は。何にしてもまずドラムスが大変だろうなと思ったら、いやあどうして、うちのバンドも天才揃いで(笑)。すごく嬉しかったのは、一曲あがるたびにテープをとりに来て1人1人でリハーサル演っててくれたらしいんだ。ま、だからコピーする上での話しっていうのは俺なんかよりメンバーに聞いてもらった方がよっぽどいいよ、ホント。それで皆、きちんと自分のものにして、よりオリジナルなもっと良いものにしてっちゃうんだから。」
−細かい指示とかは、されなかったんですか。
「指示っていうか、初めにバンドリハするまではあった不安が、スタジオに入って一発目の音出したら無くなったよね。すごくバンドっぽくなったっていうかさ」
−そのバンドになってるっていう話は、他の人からも結構耳にしたんですけれど、氷室さんの考えるバンドぽさってどのあたりなんでしょう。
  「うーん、どうなんだろう…。言葉にするのってややこしいけど−。やっぱり音を出していく上での信頼関係なんじゃない。プライベートでどれだけ一緒にいるかとか遊んだかとかってことより、やっぱり音出し始めてはじまりなわけだしさ。もちろん、その前にコミュニケーションとりあう事ってのも大切だけど、シビアな部分でなれあうのはできないよね。だから今回にしたって、バンドの皆がリハーサルの初日には、もうほとんどそれぞれのパートを自分のモノにしててくれたってことはさ、それだけでまず俺個人はボーカリストだけでいられる時間ってのも多いわけで、その後出てくるそれぞれのコンビネーションとかが、より前に出る様になってるんだと思うよ。やってて気持ち良いなって思う瞬間多いもの、今。」
−やっぱり感覚的なものなんでしょうか。
「それを作り上げるための条件っていうのはいくつかあるんだろうけどね。やっぱり理屈じゃないところっていうのは俺はすごく信じてるよ。」
参考文献44




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